自分史というもうひとつの自分

戦時下など、マスコミなど表現媒体が言論統制を受けていた頃、それでも文章で自らを表現して戦っていかねばなりませんでした。逆に言えば、それでもまだ武器に頼らず表現で戦っていけるほど、表現というものには力があるということです。ことさら現代においては、自由に表現するというその幅はさらに広がり、文章表現における影響力は、その上限が計り知れないレベルまで至ってもおかしくはありません。そういった数々の表現を、自費出版だけでなくその他あらゆるやり方ででも、一冊の書籍としてまとめ上げるとなれば、その力は相乗してさらに高まることでしょう。つまり、そのようにして丁寧にまとめ上げられた一冊の本が、作者の分身ともいえるほど、著者自身を投影できるようになる可能性があるということです。自分を投影できる可能性があると分かれば、おのずと書いていく文章またはその表現にいかにして自分がいまこうして生きている証を刻み込んでいくかという強い動機が生まれるかもしれません。あるいは、自分にとっての尊厳、または自分が世話になった敬愛すべき登場人物の尊厳を汚すようなことなど、自然と書かないようになれるかもしれません。またそういった自分ではない登場人物、既にもうこの世を去ってしまった人たちなどを思い出の中から喚び起こし、文章の力で表現に書き起こしていけば、その人たちがいかにして生きてきたか、基本的事項である名前だけでなく来歴、自分史と絡めてこんな話題があったというような紹介をおこなうことで、確かにその人達が生きていたという証明もできることでしょう。自分史の中に、そういった人々の分身さえも登場させることができ、読んだ人にまざまざと実感させてあげられる可能性もあるのです。